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仕事納め

今年も残すところあと2日となった。
今年は4月に事務所を法人化した。その時に三浦さんという司法書士と山内さんという会計士のお二人にすこしお手伝いをしてもらった。

三浦さんは、僕の下の娘の保育園のお友達のお母さんで、3年前にご自身で司法書士事務所を開設した働くお母さんだ。同じ雑司が谷に住む子育て世代として、公私にわたるお付き合いをさせていただいている。

山内さんは昨年の横浜トリエンナーレの期間中の関内外OPEN!で、僕が馬車道の宇徳ビルヨンカイのオープンスタジオに居た時に、たまたま訊ねて来たに「アーツ・アンド・ロー」のメンバーのお一人、クリエイターの為の法務や税務を側面から支援するというその団体のコンセプトがかっこ良くて、山内さんに事務所の顧問をお願いした。

二人とも元気の良い女性なのである。

とにかく、特に念願だったわけではないのだけれど、いつかはやるだろうと思っていた事がたまたま今年だったということで、晴れてらいおん建築事務所は小さな小さな株式会社になった。

もう三年来のおつきあいである中屋興産中屋ビルでは、四月にポポラート三番街がオープンした。40人いた作家のコミュニティは70人を突破して現在も増殖中。残念ながら先日起きてしまったメルカート三番街の隣家からの火災被害には地元の若い人達のコミュニティが大きくつながりを見せて、入居者たちの復興への歯車を大きくまわし始めた。入居者の「またここで再開したい」とう思いに、僕は全力でそのお手伝いをしたいと思う。

北九州では2月と8月に2回のリノベーションスクールを開催した。まちをダイナミックに動かすための方法を、清水さんと一緒に沢山の協力してくれた人たちと一緒に探った。その中から、2つの実際の建物がリノベーションされて、魚町の中で若い人達のコミュニティの拠点として機能し始めた。

そして、地元の北九州で、会社を1こつくった。北九州家守舎。行きがかり上、僕が代表を務める事になった魚町のまちづくり会社は、ビルオーナーの方々の期待を背負って離陸した。来年はもっと発展的に事業を安定させていかなければならない。

一昨年、理事と委員長を仰せつかった一般社団法人HEAD研究会のフロンティアTFでは、東京大学の松村秀一先生の「七つの予言」をベースにした「七つの予言、その先の建築」という、連続シンポジウムを企画、3回開催した。大変革期にある建築を取り巻く産業の今後について、フロントランナーをお招きし、沢山の若い人達と一緒に楽しく考えた。最終回は来年3月8日。

そして、なによりも奥さんが3月に会社を辞めた。理由は様々あったけど、またいろいろハードルはあったけど、8月にあぶくりというサンドイッチ屋をでオープンさせた。6月7月と、あぶくりオープンの準備に走り回った夏だった。8月オープン以来、沢山のお客さんにお越しいただいている。

熱海のまちづくり会社のカフェオープンのお手伝いに、釜石の復興まちづくりのお手伝い。魚町のプロジェクトを通じて知り合った方々から、他地域での実践のお手伝いをさせていただくという幸せな機会にも恵まれた。

それから、9月頃から、事務所の進む方向性を考えるようになった。

建築の設計事務所のモデルに対する僕の固定概念をとっぱらったところで、どうやったらよりクリエイティブに、高いコミュニケーションを実現できるか、外部の人と一緒に考える機会をなんどか持った。

さて、来年、らいおん建築事務所で新しい事を始めようと思う。
うまく言えないけれど、(建築じゃなくて)建物を、今、僕らの目の前に横たわっている沢山の建物をどうするかを考えるのに、もう建築的な思考回路だけでは解決できない問題の方が多くなってきてるという実感と、それに取り組むにはどうずれば良いのかと、おぼろげながらも視界が開けて来たようにも思っていて、そのために「株式会社らいおん建築事務所」が目指すべき組織としての方向性に、一つの仮説を立ててみた。僕が考えていた「建築とその周辺」の、その周辺と全然違うその周辺でないと思われていたその周辺を巻き込んでちょっと新しい事考えてみようと思う。

もしかしたら逆に、これまでよりどころにしていた「建築」という思考の枠組みさえも取っ払ってやっていけたら、高く飛べるかもしれないな、って思ってる。
ハードはもう決着がついている。上手にやれるかどうかはわからないけど、いつだって僕は考えるより先に行動してきたし、今回も地雷を沢山踏みながらも、前に進んでいけたらと思う。

今日、3日間、急性腸炎で入院していた奥さんが退院した。そろそろ娘達を迎えに行こう。

今年は大変お世話になりました。良い年をお迎えください。