2024.01.12
VOICE
「こんなことができる」をかたちに。下関市役所が取り組むまちの再生ーー山口県下関市リノベーションまちづくりVol.1

対談  松本勇弥(下関市役所)×平山慎一郎(下関市役所)×嶋田洋平(らいおん建築事務所)

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山口県下関市では、現在さまざまな場所でリノベーションまちづくりが進行しています。下関市は山口県内でも空き家率が高く、商業施設や商店街があり賑わっていた下関駅周辺も、人口が減少するにつれて空室や空き店舗が増え、賑わいが失われていました。こういった状況を変えていこうと立ち上がったのが、当時副市長であった芳田さん(現在は経済産業省)と下関市役所の皆さんです。皆さんは嶋田が各地で行っていたリノベーションまちづくりの現場を訪れて勉強したり、講演会に参加したりする中で、嶋田が福岡県北九州市小倉で手がけた「中屋ビル」の視察に訪れた際には嶋田の父、嶋田秀範と親しくなり、その縁もあって嶋田に下関市のリノベーションまちづくりを相談するに至りました。
嶋田も、2018年までリノベーションまちづくりに携わった福島県南相馬市で、下関市から出向していた方と出会い、下関に戻ったらリノベーションまちづくりをやりたいとの話を聞いており、さまざまな縁や流れが合わさり、下関市のまちづくりにアドバイスを行うこととなりました。
今回は、下関市主導で動き出したリノベーションまちづくりのスタートとなったプロジェクト「大丸旅館」についてお聞きします。それから、その後の展開においてどのようにプレイヤーを発掘し、どのようなまちづくりが進んでいるのか。さらなる広がりを見せている下関市の動きなどを含めて、下関市役所のお二人とお話します。
ーーそれぞれの仕事の範疇を越えて、自分たちの町を思う下関市の本気度
嶋田 僕が下関市の皆さんと初めてお会いしたのが2019年頃だったと思いますが、それから4年の間に下関市が進めてきたリノベーションまちづくりはさまざまな成果を見せつつあります。今日はリノベーションまちづくりを引っ張ってこられた下関市役所の松本勇弥さん、平山慎一郎さんとお話をしていきます。よろしくお願いします。

松本 平山 よろしくお願いします。

嶋田 まずは松本さんと平山さんの市役所でのお仕事と、リノベーションまちづくりにおける役割をお話いただけますか。

松本 はい。僕は、初めは仕事ということではなくて、一市民として下関市の衰退しつつある町をどうにかしたいという思いからまちづくりに関わっていました。下関市では、経産省から出向されていた芳田元副市長が在任中、下関駅から唐戸までのエリアを活性化する特別対策チームとして一つの部署(PMO室)をつくりました。

僕はその部署の横の総合政策部の企画課にいて、中山間地域の振興やふるさと納税などに携わっていて、リノベーションまちづくりは仕事ではないところで勉強していました。もともとまちづくりに興味があったので、仕事とは別に任意団体を立ち上げて個人で活動をしていました。

平山 僕は今までまちづくりとは、縁もゆかりもない部署で仕事をしていて、2021年にエリアビジョン推進室(旧PMO室)に配属され、現在、リノベーションまちづくりの担当として仕事をしています。

嶋田 下関市のことについて最初に皆さんとお話をしたのはいつ頃のどういった機会だったか、記憶が定かでないのですが、松本さん覚えていらっしゃいますか?

松本 はい。2019年6月14日に北九州市小倉の居酒屋で嶋田さんと芳田元副市長と嶋田さんのお父様ほか何人かと私たちとで食事をご一緒にさせていただき、その時に初めて嶋田さんとお話をしました。

僕はその前に北九州市小倉北区魚町のポポラート三番街のイベントで嶋田さんとご一緒していて、一緒に街歩きをして、その後にまちづくりセミナーを拝聴しました。その時に、嶋田さんのお父様とお話をする時間があり、それ以来親交を深めさせていただいています。

嶋田 それは「中屋ビル」のオーナーの梯(かけはし)輝元さんが企画したイベントですね。僕の父は「中屋ビル」に事務所を構えてお店をやっているので、「中屋ビル」の視察にいらしたさまざまな人たちと交流しているみたいなんです。多分松本さんは僕と知り合うより前に僕の父と仲良くなっていたということですね。笑

松本 そうです。嶋田さんのお父様にすごく気にかけていただいて、その後の2019年6月14日に芳田元副市長と嶋田さんのお父様ほか何人かで会合というか作戦会議と称して嶋田さんを交えてお話をする機会があったと記憶しています。

嶋田 なるほど。実は僕は僕で別なかたちで下関市のリノベーションまちづくりについての話をお聞きしていました。

僕は福島県南相馬市がリノベーションまちづくりをやりたいという話があり、2018年頃まで相談に乗っていたのですが、その時に南相馬市役所の中でも一番熱い千手さんという方と出会いました。よくよく聞いたら千手さんは下関市役所の人で、出向されていたんです。当時南相馬市は復興事業が多数動いていて、働いている人たちが忙しすぎて元気がなかったそうです。千手さんはそれを見て、ただただ状況に対応するだけの復興では良いものはできないと危機感を持ち、南相馬市でリノベ−ションまちづくりに取り組みたいと声をかけていただき一緒に仕事をしました。その時に千手さんがあと1、2年で下関に戻るので、下関でもリノベーションまちづくりをやりたいと話されていたのです。

松本さんが父と繋がった縁、僕が南相馬市で千手さんに出会った縁、その二つの流れとタイミングが合った感じだったのではないかと思います。

松本 まさにその通りです。

嶋田 2019年6月に皆さんとお目にかかって話をした時は特に何かが決まったわけではなく、下関市でもそういう取り組みをやりたいという話だったと思いますが、たまたま北九州市小倉の「中屋ビル」で手作りの小物を制作販売するなどの活動をしている女性陣がいて、下関市に住んでいる方が多かったんです。小倉と下関は電車で15分ぐらいの距離です。活動的な人が下関市に住んでいる=プレイヤーがいるということでもあるので、何かできる可能性は高いと感じました。

その後は皆さんとオンラインでお会いしてどういう風に進めたらよいかなどをお話し、下関市でも予算をつくってくださるという方向になりましたよね。

リノベーションまちづくりに取り組もうとされたのですから、町自体がさまざまな課題を抱えていたのではないかと思いますが、どういった状況があったのでしょうか。

平山 全国どこも似た状況かもしれませんが、下関市は山口県の中でも高いの空家率になっていました。下関の入り口である下関駅周辺も、商業施設や商店街があったりして賑わっていたのですが、人口が減少するにつれて空室が増え、商店街も衰退し、まちなかの魅力が低下していました。どうしたらよいかをさまざまに模索する中で嶋田さんが「今あるものを使って賑わいを創出しよう」というコンセプトで各地でまちづくりを行なっていらっしゃることを知り、とても興味深く、下関市でも力をお借りして状況を改善していけたらとなったのです。

松本 下関市役所でそのことに携わったのは、芳田元副市長が立ち上げたPMO室だったのですが、先ほどもお話ししたように、その部署でない僕は横でそういった取り組みが動いていることを耳に入れており興味を持っていました。また、嶋田さんのお父様から度々メッセージをいただく中で、担当かどうかということではなく、僕個人が活動して得られたさまざまな情報をPMO室と連携させてもらいながらまちづくりに関わりたいと思いました。

嶋田 松本さんはまちづくりのご担当ではなかったんですよね。何かをやりたいという情熱で部署と関係なく動いている感じが素敵だなと思っていました。さまざまな場所に関わってきましたが、リノベーションまちづくりがうまくいっている自治体は担当部署だけでなく、それ以外の部署の人たちもまちづくりに興味を持ちチームができているんです。本気でまちづくりをする際は、役所の仕事の範疇に縛られてしまうとできることが広がりません。できるだけさまざまな人が関わることが大切だと思っていました。そして下関市は、なぜか最初から担当でもない、仕事でもない、良い意味で関係ない人がまちづくりに関わってくれていたんです。笑

さらに、現場だけでなく芳田元副市長のように、やりたいことを進めていくためにリーダーシップを取ってくださる上層部の方がいたことも、リノベーションまちづくりを進める上で大きな原動力だったと思います。

僕はリノベーションまちづくりに長年携わった知見から、どうなると順調に進んで、どうなるとダメになってしまうかわかっていたので、止まってしまう要因についてを芳田元副市長にお話してご理解をいただいていました。

松本 そうだったんですね。確かに下関市のみんなが一丸になって取り組む機運があり、リノベーションまちづくりに関しての予算がついて動き出した際も、僕は仕事ではなく、町を使い倒す一市民として関わることができました。

嶋田 下関市の最初のご担当はどなただったのでしょうか。

松本 仕事としてPMO室の最初の担当は林さんです。

嶋田 そうでしたね。今日お話を伺えませんでしたが、最初にまず林さんが市役所の幹部クラスの方々を集めてリノベーションまちづくりがどのようなものかをお話しさせていただく場をつくってくれました。その時に、他の部署の人たちにもどのようなまちづくりが進められるかを認識していただけたのではないかと思います。

(対談写真 撮影:らいおん建築事務所)

Text by Mitsue Nakamura