2022.08.08
まちを変える
たった一人の志がまちを動かす、という確信 vol.3

入居者同士で、メルカート三番街の運営やビジョンを語り合う仲間意識が芽生え、順風満帆にオープンしたように見えたその時、商店街を襲った火事。今まで積み上げてきた、建物のリノベーションやコミュニティが崩れ去ってしまうような大惨事にどのように立ち向かったのか。一冊の本になってもおかしくない、メルカート三番街を巡る感動のストーリー。最終話を読み終えると涙ぐんでいるかもしれません。リノベーションまちづくりは、建物にあらず人にある、誕生秘話にして真髄を感じるストーリーを最後までお楽しみください。

どんなことも笑って歩み続ける「対岸の火事」の風土

梯さん:オープン後、そのように順調に運営していたのですが、ある日、火事が起きるんです。

2012.12.12 メルカート三番街隣家火災

ー え!

梯さん:2011年6月にオープンしてから、翌年の年末ですよ。

ー それは…。どのような状況だったのでしょうか。

梯さん:隣のビルからもらい火をしました。メルカート三番街も3分の1位、燃えたんです。

嶋田:これは、もうダメだなと思いました。知人から「メルカートが燃えよる!」と連絡が入ったんです。2階に入っている水玉食堂というカフェは、ほぼ全焼しました。2階の床はなんとか残ってましたが、1階部分も水浸しで。

ー それは…。

梯さん:スプリンクラーが作動して、火は消えたのですが。かなり被害を受けましたね。

嶋田:翌日、これからどうするかをみんなで話し合おうと、入居者の方々に緊急招集をかけたんです。そうしたら、みんな泣いていて。当然ですよね。僕もさすがに、もうダメかもしれないと思いました。
その時に、梯さんがみんなに何を話すのかと思ったら、「火事が起きて本当に大変ですが、ちゃんと立ち直って、しっかりと日本全国に発信していきましょう」と言ったんですよ。
凄いな、この人と。

ー かっこよいですね。

嶋田:皆、落胆している時に、日本全国に発信して更なる高みを目指していこうという心もちに驚きました。
そこで、僕も改めて建物を見てみて。元々あった木造の屋根に瓦が乗っかってたんですけど、さらにその上に鉄板の屋根が乗ってたんですね。面白いのが鉄板の屋根と木造の梁は残ってて、その瓦だけ落ちたんです。

2012.12.13 水玉食堂

2階の水玉食堂の水玉のお茶碗は、何事もなく棚の中にあって。
もしかしたら、これは直せるかもしれないと。
瓦がなくなって建物軽くなったな、と僕も前向きになりました。(笑)
そこで、水玉食堂のオーナーの2人に、こんな状況だけどどうしたいですかと、こっそり聞いたんですよ。
そうしたら、「元に戻せるのなら、あの場所でやりたい。」と。
水玉食堂のシンボルの木の梁と水玉のお茶碗がほぼ残っていたので、それなら元の完璧な状態に直しましょう!と。

ー すごいですね。悲惨な出来事があると、普通、出ていってしまいますよね。

2012.11.30 フォルム三番街「対岸の火事」(ぺぴん結構設計)

梯さん:実はその火事が起きる前に、ぺピン結構設計という演劇集団が、うちのビルで「対岸の火事」というアートパフォーマンスをやっていたんですよ。

嶋田:メルカートができた時に、アートをいれようと。エレベーターを「ギャラリーエレベーター」と名付けて、エレベーターの中で演劇をしてもらって。
小倉の人って、火事の話をするときに笑うんですよ。​​なぜか分からないけど、「あの時の火事はね(笑顔)」みたいに。
元々魚町って火事が起きやすい場所なんです。
火事が起きてるのに、なんで笑うのって。そういう土地柄と密接に関わりあっている人柄を「対岸の火事」という演劇にしてもらったら、本当に火事が起きちゃったという。

ー なるほど。

嶋田:その火事の時も、僕もみんなも泣いてるんだけど、なぜかみんな笑ったんですよ。

ー 先ほどの梯さんの前向きな言葉もあって。

嶋田:再生しよう、もう一回ここから始めようって。普通なら空中分解すると思いますが、梯さんのおかげで皆の心が一つになりました。

ー これは建物の話ではなくて、人間ドラマですね。

嶋田:本になりますよね。(笑)

 

 

再生したメルカート三番街が、小倉の新しい日常になっていく

メルカート三番街 リニューアルオープン餅まき

クッチーナ・ディ・トリヨンの竣工式

嶋田:それで修繕がひと段落ついた頃に、もう一度、オープニングセレモニーをやりました。再生の証に。

ー リオープニングをしてから、もう10年位ですか。最近はいかがですか?

梯さん:もう10年経ちましたね。
入居者の入れ替わりはありますが、基本的に10件ずっと入居している状態です。
入れ替わりの時も、お友達のお友達の紹介ですぐに入ってきてくれます。不動産屋さんを仲介することも全くないですね。
メルカートの運営も順調で、みんなまちのことに関わってくれているので、永続性ある環境が作れていると思います。

ー 10周年記念とかはやったのですか?

嶋田:…やってないですね。(笑)
なんだかメルカートがある日常が、当たり前の感覚になっていますね。
メルカートが本当に上手くいってるので、暮らしの一部になっているのだと思います。

ー 今も若い方が多いですか?

中屋ビルポポラート三番街 出店者 Puppy

梯さん:そうですね。20代前半の方もいらっしゃいます。

嶋田:最近は古着屋さんとか…。

梯さん:あとカフェとか、古本とかですね。

ー その時代によって、入居者さんが色々と変わっていくのは面白いですね。

梯さん:そうですね。退去される方も、古着屋さんが手狭になって大きな店を構えたいから転居するとか、インキュベーションの要素が残ってますね。

嶋田:メルカートは本当に上手くいってますね。元々ポテンシャルがあるまちに、メルカートができて、町ががらっと変わっていく様子が体感できました。

ー なぜ成功したと思われますか?

梯さん:要素は色々とあると思いますけど、分かりません(笑)。

嶋田:僕は、梯さんが若い人たちが活動できる場をつくりたいという想いがあったことが大きいと思ってます。その行動力がないと、ここまでは成功しないと思います。

ー 梯さんの常識を打ち破る柔軟さと行動力、そして有事の際には、包容力を感じます。

嶋田:以前、梯さんから伺ったことがあるのですが、北九州の人は、新しいことが好きで。小倉は、明治以降や戦後に、九州や四国の農家が集まってきて商売を始めた人たちという、土地の歴史、人の記憶があるんです。
もともと地域から受け入れてもらった人たちだから、自分たちも新しくきた人や物事を受け入れる。そういう寛容さと、新しいもの好きの気風があります。

2022 旦過市場 Photo by Megumi Tange

ー 小倉の寛容さに、梯さんがいて、嶋田さんがスパイスを効かせ、入居者たちが新たな小倉の文化を作っていったんですね。

嶋田:メルカートは、本当に梯さんの志でできたことですね。

梯さん:嶋田さんを信じて始めて、いろいろ偶然が重なって、メルカートができて、結果的に今も良い運営ができていて、最初の目に狂いはなかったと思っています。

ー ありがとうございました。

Photo by Megumi Tange

Text by Motomi Matsumoto