2022.06.16
VOICE
地域の課題とローコストを解決する設計と構造のアイデア ─ 地域滞在交流施設「オガールベース」 vol.1

岩手県紫波町で都市と農村の暮らしを“ 愉しみ”、環境や景観に配慮したまちづくりを表現する場づくりを目指して平成19年(2007年)から始まったオガールプロジェクト(紫波中央駅前都市整備事業)。駅前の町有地10.7haを中心にホテルやバレーボール専用体育館、図書館、カフェ、産直マルシェなどを有する施設が計画され、年間80万人が訪れる場所となっている。この中の施設のひとつ、オガールベース(バレーボール専用体育館と宿泊施設ほかを有する複合施設)は事業コンペとなり、嶋田は建物の設計者として参画した。平成26年(2014年)の竣工から8年。構造設計を担当した木下洋介さんと、計画について振り返ります。

 

─岩手県紫波町の駅前開発オガールプロジェクト、公民が連携した「オガールベース」の計画

嶋田:今日は2014年7月に岩手県紫波町に竣工したオガールベースについて、構造設計を担当していただいた木下さんとお話をしていきたいと思います。木下さん、よろしくお願いします。

木下:よろしくお願いします。

嶋田:まず、オガールプロジェクトについて少しお話しします。岩手県紫波町は人口3万4千人程度、盛岡駅から電車で20分ぐらいの農業が盛んな小さな町、いわゆる盛岡のベッドタウンのような町です。
その紫波町にある紫波中央駅の駅前に10.7haの町有地があって、その場所で平成21年(2009年)度からオガールプロジェクト(紫波中央駅前都市整備事業)が始まりました。分譲住宅地開発(オガールタウン)と公共施設の建設が主な開発計画で、平成24年(2012年)にまず図書館とテナントが一体化された官民複合施設「オガールプラザ」がオープンしています。これも他にはない公共施設です。今回僕たちが携わったオガールベースはふたつ目の施設で、これは民間事業。紫波町から土地を借りて、まちづくりになるようなプロジェクトを民間事業者に公募し、紫波町の岡崎正信さんが手を上げてコンペに参加されたのです。岡崎さんは国土交通省などを経て、家業を継ぐために地元の紫波町に戻られ、まちづくりを志して活動されていたのですが、僕はリノベーションスクールでの繋がりがあって声をかけていただき、コンペ参加の段階から一緒にやることになりました。

それが2013年頃だったのですが、当時僕はまだ独立したばかりで大規模な建築を手がけていなかったことや、日本の当時の状況や社会構造的に新しい建物は必要ないと思っていたので、声をかけていただいたにもかかわらず最初は新築建物のプロジェクトにかなり抵抗感があったのを覚えています。笑
リノベーションスクールでもお世話になっていた清水義次さんたちがプロジェクトに関わっていたこともあり、参加することを決めました。

コンペに応募するにあたって、建物のプランニングをはじめ現実性のある提案をしなければいけなかったので、提案製作段階で構造設計者との密な連携が必要だと思ったんです。それで木下さんに連絡しました。もともと木下さんは金箱構造設計事務所にいらして、僕がみかんぐみに居た時に平成21年(2009年)横浜の開国博Y150でメイン会場の仮設建築物を一緒に担当していただきました。

木下:そうでしたね。僕は金箱構造設計事務所で8年間働いて、お声がけいただいたのは独立してちょうど3年目の時でした。 お話を聞いて、まず4,000㎡の木造を建てるという規模の大きさに驚きました。実は僕は金箱構造設計事務所時代、大規模木造を担当したことがなかったので、少し不安もあったんですよね。でも独立してなんでもやろうと思っていたのと、施設として先にできていたオガールプラザは設計が近代建築研究所の松永安光さん、構造設計が東京大学の稲山正弘さんという大御所の方々で、「オガールプラザ」の事業者であり、「オガールベース」の事業者としても手を挙げられた岡崎正信さんからは「オガールプラザより建設コストを抑えてほしい」とリクエストされたので、神のような存在のおふたりの建築をどう超えることができるのか、相当高いハードルに挑戦しないといけないなと思いました。

嶋田:このコンペにおいて、岡崎さんが考えた事業のコンテンツは、バレーボールというスポーツが盛んな町における車移動のビジネスマンをターゲットとした宿泊に特化したビジネスホテルでした。岡崎さんはいつもピンホールマーケティングということを言っていて、コンセプトとコンテンツが尖れば尖るほど、ターゲットは絞られるけれど今まであるものとの差異化ができ、可能性が生まれると。平日のビジネスユースと休日のスポーツ合宿ニーズを混在させ、商業テナントのプログラムも織り込むという話を聞いた時、今までにないタイプの公共的施設ができるんじゃないかとワクワクしました。
それから、このプロジェクトにはほかにもいくつか命題がありました。地域産材を用いて低層で高密度な木造をつくること、そして先に建てられたオガールプラザよりコストをかけないことなどです。あと設計においては、事業性からホテルの客室数も60 数室と決められていました。そういった高い要求水準があってスケジュールもタイト、あと木造が必須で経済的な架構を考えないといけない。設計において構造が重要なエレメントになることが想定できたので、みかんぐみ時代にお世話になった木下さんにすぐ連絡をしたんです。

木下:構造家は建築家がつくろうとするものに対してサポートする役割なので、直接クライアントにお会いする機会はほとんどないのですが、最初から私も一緒にクライアントと対峙し、コンセプトと予算の話を聞き、形態ではなく事業として目指すところに対して構造設計をしてほしいと依頼されました。今まで建築家の造形をつくるために構造設計をしてきた自分にとってそういう経験は初めてで、目からウロコでしたが、みなさんの最終目標のためにエンジニアリングとして関わるという今までにない仕事をするのだなと新鮮な気持ちでした。

嶋田:僕自身建築家としての作品性よりも、とにかく意匠と構造それぞれの役割でポテンシャルを発揮してどう成立させられるか考えましたよね。木下さんが大規模木造の経験がなかったこともあり、オガールプラザの図面をお借りして二人で眺めながら、いろいろなことを勉強していたのを思い出しました。
そこでいちばんに気づいたのは材料の歩留まりのよさ。日本の材料は910mmの倍数からできていますが、その寸法を使って空間をつくっていくと現場で材料を切らなくてよい。切る手間、捨てる手間がない。寸法遵守、910の倍数以外は使わないモジュールが徹底されていました。稲山さんの構造図面を見ながら、オガールプラザより材積(単位面積あたりの木材料)を小さくするために、木材を徹底的に少なく、さらにより無駄なく使うためにはどんな設計や構造計画を立てればよいのか、ふたりで必死に考えました。

木下:まずはそこからでしたね。稲山さんが考えた超効率的な架構があって、私たちは二番手だからもう少しこうできるかも、といったように、オガールプラザのあり方をベースにしながら思いつけるアイデアがあり、それを考えるプロセスからは、振り返るといろんなことを学ばせていただきました。

vol.2 へつづく

Text by Mitsue Nakamura