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道路のリノベーション 1951年と2015年

魚町で2014年3月20日〜23日の間に開催されるリノベ祭りの中のイベント、ファンタスティックアーケードプロジェクトで長い年月を経て復刊する魚町の「いらっしゃいませ」に寄稿したテキストを掲載します。

これ

道路のリノベーション 1951年と2015年

小倉魚町に我が国初の全長約130メートルの公道上のアーケードが完成したのは1951年。今から63年前のことだ。雨に濡れずに買い物ができるまちをつくるという強い思いで、魚町の先人たちが、毎日の売り上げから積み立てた6000万円で魚町の道路上にジュラルミンの銀色に輝く屋根をかけた。魚町銀天街という名前は、市民からの公募によって集まった6000通の中から名付けられた名前で『銀の天井に輝く街』という意味だったそうだ。その後、西日本をはじめとした全国の商店街に補助金とともに、この「公道上の屋根」が広がっていった。

「アーケード」は商店街組合法人の所有物として、組合がその維持管理を担って来た。維持管理費の原資は組合員から徴収される組合費である。それゆえにアーケード維持に関する負担金は、通りに面している民間の不動産オーナーに課せられている場合がほとんどだ。だから、その不動産オーナーから建物を賃借し事業を行うテナントの家賃に加えてそれが付加される。つまりそれだけの家賃を払い負担を負うことができる強いテナントだけが、魚町銀天街に集まり、まちのにぎわいを作り、数十年間にわたって小倉のまちの活力になって来たとも言える。

さて、今回の舞台、魚町サンロード商店街のアーケードは1981年に完成した、小倉で一番新しいアーケードである。この魚町サンロードは魚町銀天街から一本はいった裏通りというにふさわしいわずか107メートルの小さなアーケードだ。なんといってもこのアーケードの特徴(というか問題点)はその組合費の安さだ。魚町銀天街に比べると、驚くべき事に12分の1の費用負担しかないのである。つまり、維持管理していく仕組みがどこにも組み込まれていないという、魚町でも全国でも珍しい商店街だ。だから最初から華美な事はなにもしていない。ひっそりとたたずむように32年間、ほぼ建設当時のままの姿で今も通りを覆っている。それゆえに、魚町サンロードは銀天街に比べれば手頃な家賃相場と負担金の少なさで、地元の新規事業者たちが、ここに新しいビジネスを始める場所として、昔からまちのインキュベーターとしての役割を担っていたとも言える。
しかしながら老朽化したアーケードと薄汚れてしまったポリカーボネートの屋根は通りを暗い印象にしてしまい、いつしか新規出店事業者からは選ばれないストリートになってしまった。もといた商店主の高齢化などによって閉店する店も増え、近年では空き店舗が目立っていて、組合維持すらも困難な状況に直面しているというのが現状だ。

全国のアーケードの撤去が進む背景はこういう実情がある。そして撤去した結果、そこにアーケードがかつて存在したという記憶ごと消し去られて、人の回遊しなくなった通りそのものが死んでいくというのもアーケード撤去に伴い散見される事例だ。

魚町サンロード商店街は、次の世代にまちを受け継いでいくために、ここで、一旦この重い荷物をおろす事にしたのである。ただし、ここに、かつてアーケードが存在し、32年間にわたってアーケードと共に生きた街の人たちの記憶をとどめつつ、そして、過去の失敗に学び、自分たちのまちを自分たちの力で維持していくことができるように、今の時代にあった方法でアーケード撤去とストリートの再生を同時に行う事にした。鳥町リボーンプロジェクトはそういうまちの人たちの思いのつまった計画だ。

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「市民のためのストリート構想」は、2011年からスタートした北九州市が掲げる戦略的都市政策「小倉家守構想」の中に位置づけられた複数の民間プロジェクトの総合体である。魚町サンロードに面する中屋興産中屋ビルの1階には、建物内部にインナーストリートを設け、魚町銀天街からの人の流れをサンロード側に促す計画だ。火災にあった平井家跡地にはコンテナ店舗のテンポラリーなカフェを誘致し、公共の道路と民間の土地が一体となって使われる屋外空間を提供する。土地オーナーから貸与を受けた商店街組合は、家守型民間まちづくり会社の鳥町ストリートアライアンスとともにコンテナ店舗に建設投資をする。ここに北九州家守舎が将来の飲食店開業を目指す若者を店長候補として雇いカフェ営業を行い、まちの事業オーナーの育成とまちの新しいコンテンツづくりを同時に行う。この事業で稼いだ収益は、鳥町ストリートアライアンスを通じて、魚町サンロード商店街協同組合に臨時組合費収入として蓄財される。また、旧アタゴ書店でも民間事業者によってリノベーションされ、新しい事業オーナー3者と住人1組に転貸される。これらの民間プロジェクトと同時並行して、アーケードの撤去事業が進められている。

我々の計画はこうである、アーケードがなくなった商店街のストリートが今までと同じように歩行者の空間として維持され、アスファルトの敷かれた殺風景ないわゆる道路ではなく、植栽や芝などで覆われた緑の空間として来街者の滞在できる広場空間にしようという計画だ。ただしここは建物の建っている民間の敷地に面した道路である。だからあくまでも道路のままで、そこに緑地としての行政の制度上の網掛けを行い、道路でありながら公園であり広場であるという「制度上の立体化」を行おうというものだ。小倉家守構想という公民連携事業によってつくられた、民間と行政の人間的ネットワークによってこれらのプロジェクトが非常に難しいながらも一歩ずつ確実に実現に向けて動いている。

広場は民間のまちづくり会社がその管理の一部を担う。この新しくできる広場(であり道路)の空間はここに面した民間の建物と敷地と一体的に活用され、さまざまなイベントに提供される。そこで得られたまちづくり会社の収益の一部は、また魚町サンロード商店街共同組合に臨時組合費収入として蓄財される。

もうお分かりだろうか。この事業で得られた「都市のインフラをつかって稼いだお金」はアーケード撤去のために借入れの借金返済にまわされる。まちの人たちに新たに重い負担を強いる事無く、まちとしてのエリアの魅力を高めながら、そこで得られた事業収益をもとに、重いアーケードを下ろす資金になる。
そして撤去費用の返済完了後は、広場の植栽やファニチャーなどの維持管理費など通りのインフラ維持に使われる。

1951年に公道上に銀色の屋根をかけた。それによって栄えた街とその通りに面した商店が売り上げた莫大な利益はアーケード維持につかわれる仕組みだった。民間が自分たちのちからで公共財を維持していく最良の仕組みが、このストリートではすこし疲れて来てしまった。63年前のこの手法は間違いなく当時の「道路のリノベーション」だった。そして今、2015年に向けて、魚町は、自分たちのまちを自分たちの力で維持していくために、もう一度、「道路のリノベーション」に挑んでいるのである。

63年前に全国で初めて公道上に屋根をかけたのと同じ強靭な意志で、またしても全国に先駆けて公道を公共の広場へとリノベーションしてみせるようとしているのである。

嶋田洋平/株式会社らいおん建築事務所