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らいおん建築事務所は仲間を募集します

2014/12/22|個別ページ

今年も終わろうとしているけれど、よく考えて見ると、僕が24歳で理科大小嶋研の大学院を修了してみかんぐみに就職した時のみかんぐみのボスたちの当時の年齢に自分がなっていることに気がついた。

9年間という比較的長い時間をみかんぐみで過ごした。最後の2年間はらいおん建築とラップさせることを許してもらいながら、2008年10月に事務所作ってから6年ちょっと、完全に独立して5年ちかく。僕がみかんぐみに入ったのも、たしかみかんぐみ設立6年目だった。

日々の業務をスピーディーにこなしていかなければならない事に優先順位を奪われていて、自分のスタンスやヴィジョンを丁寧にスタッフに伝えていくことからこの数年間かなり逃げていたなと思っていて。

人生なんて、どうせすごく短いし、僕一人が生きてるうちにやれることなんて、どうせものすごく限られてるのだから自分が出来ないことは下の世代に託すしか無い訳で、いつもそう考えつつもなかなか出来なかったことを、気づきを得た良い機会だから挑戦してみようと思う。

仕事を広げていくという課題と人を育てなければならないという課題とを、同時に解決してみたい。

僕がみかんぐみで様々なプロジェクトに関わる中で成長させてもらい、育ててもらったわけで、僕の今を形作ってるそのほとんどと、今のスタンスはほぼみかんぐみで形成されたわけだから。なんかそう考えたら40代目前の今の時期がきちんと若い人に自分が受けとったものを、時間をかけて伝えて与えるのに良い時期とチャンスかもと思った。

なので、らいおん建築事務所、6年目にして建築学科出身のガチ人材を新卒採用し育てることにします。学生さんたち、これからの時代の建築設計事務所のあるべき姿を一緒に考えて実践してくれませんか。

20世紀の丹下スクールとか篠原スクールとか伊東スクールとかみたいに、たくさん出なくていいけど、これっていう感じのキラっと輝く2人とかを、21世紀に輩出したいと思います!

2014年12月22日

嶋田洋平

<スタッフ募集のお知らせ>

らいおん建築事務所は、現代の日本社会の様々な問題を、建築やまちづくりをはじめとした、あらゆる「モノ・ゴトとその関係」のデザインを通じて解決を目指す会社です。人口減少下のストック型社会における、社会・地域の課題解決と建築設計事務所のこれからの役割を一緒に考え実践し、将来を担ってくれるメンバーを募集します。

ぼくたちの仕事は、リノベーション(不動産の再生)の企画・デベロップメント・設計・監理や運営、リノベーションを通じたエリアの再生のためのエリアプロデュース、イベントの企画・運営はもちろん、建築物の企画・設計・監理やインテリアや家具・プロダクトのデザイン・制作まで、多岐にわたり、建築不動産の再生とエリア再生に関わるすべてについてハードとソフトの両面から立体的にアプローチしていきます。

□条件
大学の建築学科を卒業し、社会人経験3年未満の方
大学の建築学科学部・大学院を2015年3月に卒業・修了する新卒者

※社会人経験のある中途採用希望の方は下記の方を優遇します
建築設計事務所勤務経験、工務店勤務経験、デベロッパー勤務経験、不動産管理・不動産仲介会社勤務経験、有資格者(宅建、建築士等)、

□給与・待遇
能力、経験を考慮の上決定します
試用期間(有給)あり

□ 選考方法
書類審査・面接にて選考

□ 採用人数
1〜2名

□ 締切
採用人数に達し次第修了

□応募方法
件名を「採用」として、下記のメールアドレス宛に履歴書・ポートフォリオをpdfで送付してください。
こちらから連絡します。
recruit@lion-kenchiku.co.jp

雑司が谷でリノベーションスクール

2014/07/31|個別ページ

豊島区の高野区長が消滅可能性都市に指摘された事への対策として、昨日、リノベーションまちづくりに着手しリノベーションスクールを開催する事を発表した。

池袋経済新聞の記事

満員の通勤電車に乗る事が生理的に出来ないという理由から、奥さんの妊娠出産を機に、ほんとにひょんなことから住みはじめた雑司が谷のまちなんだけど、どうせしばらくはもう住み続けなければならないし、子供たちにとってはふるさとにしてあげたいと思うようになったので、このまちがどうやったら自分たちにとって楽しいまちになるかを考えるようになった。

2012年の5月だったと思う。清水さんに呼んでいただいて、東洋大学大学院経済学専攻の公民連携専攻の「民間プロジェクト論」という講義にゲスト講師としてお話する機会があった。小倉魚町ではじめた取り組みについて、あのときはたしかメルカート三番街とフォルム三番街と、よりみち市とポポラート三番街の事を話した。小さな実践のコト作りについてだった。リノベーションスクールも二回目が終わった後だった。まだまだ一つの成果もあげていなかった。そのあとのゼミで、ゼミ生の方々が、路地のまちを対象にフィールドワークを行う検討をされていた。そのときに意見を求められて何となく発したのが「僕の住んでいる雑司が谷も路地のまちで、なかなかしんどいんです」的なことを話した気がする。自分の住んでいるまちに起こっていることと小倉魚町で起こっている事の共通点があるんじゃないかと感じはじめた時期だった

その数週間後のたしか土曜日だった。忘れもしない6月2日の誕生日の直後だった。ゼミ生10人くらいと清水さんがオープン間近のあぶくりの現場と、雑司が谷のまちあるきのためにやって来てくれた。1時間ほどまちをあるいて清水さんとゼミ生のみなさんとたしか懇親会をして解散した記憶がある。

そして、8月の第3回目のリノベーションスクール@北九州が終わった後の秋口に、清水さんから受けたアドバイスは「雑司が谷でなにか起こすのであれば、子育てをしているお母さんたちと一緒にやりなさい」というものだった。暑い夏の最中にいろいろと考えを巡らせた結果そういう結論にたどり着いたと僕にこっそり教えてくれた。

翌年、4月、上の娘の父母の当番期ということもあって、僕は保育園の父母会長になった。お母さんたちを巻き込むためにどうすればいいか全然分からなかったけど、保育園の父母会というパブリックな場でなにかできるかもしれないと思ったからだった。

同時並行で奥さんがあぶくりをオープンさせた。そして、これだけは自信があるのだけど、決して呼んでないのに突然、青木純があぶくりのオープニングに姿を現したのである。なんでだかは分からない。近しい知り合いはたくさんいたのに全く接点がなかった世界の青木と僕は奥さんのあぶくりをきっかけに知り合ったのである。たぶん、今から思い返すと、彼はカスタマイズ賃貸をさらに発展させて、オーダーメイドエリナを大坪夫妻といっしょにつくっていた時期だったと思う。

彼の活動を知って、僕はHEAD研究会の七つの予言に登壇してもらった。この奇怪なマンションオーナーの存在を清水さんに知らせて、紹介したのだった。
その後青木にはリノベーションスクールでユニットマスターを無理に続けていただいた。僕は、絶対いつか自分たちのまちで何かことを起こすつもりで居たからだ。

同じくあぶくりのオープニングの時期に、木下斉が早稲田のこだわり商店店主の安井浩和をあぶくりにつれてきたのだった。安井くんとはじめてした会話はたしか商店街のシャッター街についてのオーナーと店主の意識と課題についてだった。そこで全く持って意気投合したのを覚えている。

その後もことあるごとに清水さんに雑司が谷で起きている事を雑談でお話ししていたのだけど、あるとき、清水さんが僕にしたアドバイスがその後を決定づける一言だった「せっかく面白い人たちがいるんだから、雑司が谷の中だけで閉じて考えていないで都電沿線のまちをネックレスのようにつらなるスモールエリアの連続体としてとらえたら面白い事がおこるんじゃないか」というものだった。

早稲田・鬼子母神・向原。どこも寂れた商店街とセットになった住宅地を抱えている山手線の内側の超都心縮退エリア。

ここで空き家を使って東京の都心に住んで働いて暮らす。新しいライフスタイルの発信ができるのではないかという仮説をたてたわけである。そして3人で共同出資して家守会社を立ち上げた。それが都電家守舎。目立ちたがりやの青木が社長になった。昨年6月のことである。

子育てをしながらやり甲斐を持って働ける場所を自分でつくると決心し会社をやめた玲子さんは、あぶくりを通じて、このまちの子育てするお母さんたちの支持を集めはじめ、同じようなお母さんたちの働く仲間も得て、雑司が谷夜の学校と称して何度も何度もリノベーションやまちづくりに関する話をして若い人たちの集まる場と人がつながる場をつくりつづけた。僕は魚町で得た経験を元に、目白ホワイトマンションの再生と、このまちから逃げない態度を明確にするために買った借地の一戸建てのグランマの再生を行っていた。

そのさなかに発表された「消滅可能性都市」なのである。

そこからは急転直下の勢いで区長に呼ばれ副区長に会いにいき。僕らのこの3年間の小さな取り組みの実績が、豊島区の本質的な地域経営課題を解決するかもしれないと、区が判断しただけのことである。

子育てをしている主婦がグラデーションをもって働くのが良いと勝手に思っていた僕は可能な土曜日だけご主人に子供預けてらいおん建築で働いてくれるお母さんを探していて、経理の仕事をお願いしていたので。雑司が谷に住んで子育てをしながららいおんで働いてくれていたそのお母さんたち二人を含む、実に5人のお母さんたちが子供の成長によって手狭になった家を引っ越すタイミングで、この雑司が谷を去ったのである。たったの二年間で僕の知り合いだけでその数である。これが消滅可能性都市の課題の本質なのである。

リノベーションスクールがぼくのまちで開かれるのである。
子育てをしているお母さんたちがこのまちに住み続けるためにどうすれば良いかを考えれば良いということになったのである。公式に

僕たち家族の問題が豊島区の課題と見事に重なった瞬間なのである

嶋田家がどうすれば、にこさんやいまさんのお友達の家族たちがどうすればこのまちに住み続けられるのかというぼくらにとっては家族の直接的な課題が豊島区の政策課題になったのである。

ちいさな点と点が、見事なまでに線で結ばれて面になって。すべての出来事が必然であったかのように一つの果実となって結実したのである。ほんとうにこのたった1ヶ月間の出来事なのである。

ミラクルが起きているのである。魚町で起こり続けたミラクルがここでも起こってるのである。ヨーダはほんとうに半端じゃないのである。

とにかく動いていたらなにか起こるのである。考えてる暇はないのである。

目白ホワイトマンション memento

2014/03/14|個別ページ

目白ホワイトマンションという築40年越えのマンションの一室を住み手と一緒にセルフリノベーションしています。ハンディハウスプロジェクトの中田君と一緒に工事を開始しました。

1503979_230056347170346_2085835912_n約20年ぐらいご高齢の婦人がお住まいになっていた部屋が退去後に2年間そのままの状態で置かれていた。このマンションはビンテージマンションといっていいほどの当時建てられた最先端の建物で外観もすばらしい。

最近の住み手の部屋探しはほとんどがインターネットの物件情報での検索だ。空き家の多い状況の中だと特に女性は膨大に出てくる情報をフィルタリングするのに築年数で絞り込んでしまう。そうするとこの物件は検索に引っかかる事無く内見の申込すら入らないような状況になっていたのではないかと推測する。上の部屋を含めて、実に空室率40%のマンションだった。

こんな状況で、オーナーさんから相談を受けて僕が提案したのは以下の4つ

1、マンション全体のコンセプトを「欲しい暮らしを手作りで手に入れるマンション」にすること。つまり内装を住み手が自由に作ってよい仕組みで賃貸すること

2、共用部、屋上や使われていない元ボイラー機械室のペントハウスをDIY工房にすること。

3、プロモーションの方法を変えて、DIYPなどの内装に手を加えてよい賃貸物件ばかり集めたサイトで集客すること。

4、上記の一部屋を住み手を最初に決めて、らいおん建築事務所が家守として転貸デベロップするフラッグシッププロジェクトにして実践し、広報を行う事。

ということで、memento(形見)と名付けられたこの部屋の工事が始まりました。また工事の内容や賃貸転貸の仕組みは今後、ブログで紹介していきます。

2014-03-12 14.32.12

道路のリノベーション 1951年と2015年

2014/03/07|個別ページ

魚町で2014年3月20日〜23日の間に開催されるリノベ祭りの中のイベント、ファンタスティックアーケードプロジェクトで長い年月を経て復刊する魚町の「いらっしゃいませ」に寄稿したテキストを掲載します。

これ

道路のリノベーション 1951年と2015年

小倉魚町に我が国初の全長約130メートルの公道上のアーケードが完成したのは1951年。今から63年前のことだ。雨に濡れずに買い物ができるまちをつくるという強い思いで、魚町の先人たちが、毎日の売り上げから積み立てた6000万円で魚町の道路上にジュラルミンの銀色に輝く屋根をかけた。魚町銀天街という名前は、市民からの公募によって集まった6000通の中から名付けられた名前で『銀の天井に輝く街』という意味だったそうだ。その後、西日本をはじめとした全国の商店街に補助金とともに、この「公道上の屋根」が広がっていった。

「アーケード」は商店街組合法人の所有物として、組合がその維持管理を担って来た。維持管理費の原資は組合員から徴収される組合費である。それゆえにアーケード維持に関する負担金は、通りに面している民間の不動産オーナーに課せられている場合がほとんどだ。だから、その不動産オーナーから建物を賃借し事業を行うテナントの家賃に加えてそれが付加される。つまりそれだけの家賃を払い負担を負うことができる強いテナントだけが、魚町銀天街に集まり、まちのにぎわいを作り、数十年間にわたって小倉のまちの活力になって来たとも言える。

さて、今回の舞台、魚町サンロード商店街のアーケードは1981年に完成した、小倉で一番新しいアーケードである。この魚町サンロードは魚町銀天街から一本はいった裏通りというにふさわしいわずか107メートルの小さなアーケードだ。なんといってもこのアーケードの特徴(というか問題点)はその組合費の安さだ。魚町銀天街に比べると、驚くべき事に12分の1の費用負担しかないのである。つまり、維持管理していく仕組みがどこにも組み込まれていないという、魚町でも全国でも珍しい商店街だ。だから最初から華美な事はなにもしていない。ひっそりとたたずむように32年間、ほぼ建設当時のままの姿で今も通りを覆っている。それゆえに、魚町サンロードは銀天街に比べれば手頃な家賃相場と負担金の少なさで、地元の新規事業者たちが、ここに新しいビジネスを始める場所として、昔からまちのインキュベーターとしての役割を担っていたとも言える。
しかしながら老朽化したアーケードと薄汚れてしまったポリカーボネートの屋根は通りを暗い印象にしてしまい、いつしか新規出店事業者からは選ばれないストリートになってしまった。もといた商店主の高齢化などによって閉店する店も増え、近年では空き店舗が目立っていて、組合維持すらも困難な状況に直面しているというのが現状だ。

全国のアーケードの撤去が進む背景はこういう実情がある。そして撤去した結果、そこにアーケードがかつて存在したという記憶ごと消し去られて、人の回遊しなくなった通りそのものが死んでいくというのもアーケード撤去に伴い散見される事例だ。

魚町サンロード商店街は、次の世代にまちを受け継いでいくために、ここで、一旦この重い荷物をおろす事にしたのである。ただし、ここに、かつてアーケードが存在し、32年間にわたってアーケードと共に生きた街の人たちの記憶をとどめつつ、そして、過去の失敗に学び、自分たちのまちを自分たちの力で維持していくことができるように、今の時代にあった方法でアーケード撤去とストリートの再生を同時に行う事にした。鳥町リボーンプロジェクトはそういうまちの人たちの思いのつまった計画だ。

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「市民のためのストリート構想」は、2011年からスタートした北九州市が掲げる戦略的都市政策「小倉家守構想」の中に位置づけられた複数の民間プロジェクトの総合体である。魚町サンロードに面する中屋興産中屋ビルの1階には、建物内部にインナーストリートを設け、魚町銀天街からの人の流れをサンロード側に促す計画だ。火災にあった平井家跡地にはコンテナ店舗のテンポラリーなカフェを誘致し、公共の道路と民間の土地が一体となって使われる屋外空間を提供する。土地オーナーから貸与を受けた商店街組合は、家守型民間まちづくり会社の鳥町ストリートアライアンスとともにコンテナ店舗に建設投資をする。ここに北九州家守舎が将来の飲食店開業を目指す若者を店長候補として雇いカフェ営業を行い、まちの事業オーナーの育成とまちの新しいコンテンツづくりを同時に行う。この事業で稼いだ収益は、鳥町ストリートアライアンスを通じて、魚町サンロード商店街協同組合に臨時組合費収入として蓄財される。また、旧アタゴ書店でも民間事業者によってリノベーションされ、新しい事業オーナー3者と住人1組に転貸される。これらの民間プロジェクトと同時並行して、アーケードの撤去事業が進められている。

我々の計画はこうである、アーケードがなくなった商店街のストリートが今までと同じように歩行者の空間として維持され、アスファルトの敷かれた殺風景ないわゆる道路ではなく、植栽や芝などで覆われた緑の空間として来街者の滞在できる広場空間にしようという計画だ。ただしここは建物の建っている民間の敷地に面した道路である。だからあくまでも道路のままで、そこに緑地としての行政の制度上の網掛けを行い、道路でありながら公園であり広場であるという「制度上の立体化」を行おうというものだ。小倉家守構想という公民連携事業によってつくられた、民間と行政の人間的ネットワークによってこれらのプロジェクトが非常に難しいながらも一歩ずつ確実に実現に向けて動いている。

広場は民間のまちづくり会社がその管理の一部を担う。この新しくできる広場(であり道路)の空間はここに面した民間の建物と敷地と一体的に活用され、さまざまなイベントに提供される。そこで得られたまちづくり会社の収益の一部は、また魚町サンロード商店街共同組合に臨時組合費収入として蓄財される。

もうお分かりだろうか。この事業で得られた「都市のインフラをつかって稼いだお金」はアーケード撤去のために借入れの借金返済にまわされる。まちの人たちに新たに重い負担を強いる事無く、まちとしてのエリアの魅力を高めながら、そこで得られた事業収益をもとに、重いアーケードを下ろす資金になる。
そして撤去費用の返済完了後は、広場の植栽やファニチャーなどの維持管理費など通りのインフラ維持に使われる。

1951年に公道上に銀色の屋根をかけた。それによって栄えた街とその通りに面した商店が売り上げた莫大な利益はアーケード維持につかわれる仕組みだった。民間が自分たちのちからで公共財を維持していく最良の仕組みが、このストリートではすこし疲れて来てしまった。63年前のこの手法は間違いなく当時の「道路のリノベーション」だった。そして今、2015年に向けて、魚町は、自分たちのまちを自分たちの力で維持していくために、もう一度、「道路のリノベーション」に挑んでいるのである。

63年前に全国で初めて公道上に屋根をかけたのと同じ強靭な意志で、またしても全国に先駆けて公道を公共の広場へとリノベーションしてみせるようとしているのである。

嶋田洋平/株式会社らいおん建築事務所

雑司ヶ谷で欲しい暮らしを手作りで手に入れる

2014/01/12|個別ページ

今、らいおん建築事務所で二つのプロジェクトを進めようと思っています。

一つは、雑司が谷の一戸建てのプロジェクト。一戸建てといってもクライアントから新築住宅の設計依頼があったわけではありません。このエリアには、再建築不可物件や借地権物件などは、住宅ローンがうまくつかずに流動化を妨げている古い空き家案件をみかけます。これらを取得する仕組みを考えて、雑司が谷でも「リノベーションで仕事をつくる」取り組みををやってみようと思っています。若い世代の住み手と彼らの職場をまちなかにどんどんつくることで(つまり住んで働く人を増やすことで)雑司が谷に店を増やし、まちに来る人を増やすことで、エリアの情報発信力を高めれば、この街で商売したい人を増えるだろうし、結果エリアの不動産価値が高まると思います。

そうすることで、この古い木造密集地の町並みを守りながら、昼間の若者居住者を増やすことで、コミュニティをさらに活性化し、人間主体で火災や震災などに対してエリアの防災機能を高めることができると思います。

一戸建て住宅の建っている借地権を取得して、これを住みたい人が自由に内装を手作りで作って住める賃貸住宅にしようと思ってます。いわゆる不動産オーナー業を始めます。

もう一つは、目白のマンションです。ここもDIYでハンドメイドの暮らしを手に入れたい人のためのオーダーメイド賃貸住宅として企画しています。不動産オーナーから借り受けた部屋を住み手と一緒に作る転貸型のリノベーション事業を展開しようと思ってます。

これら二つのプロジェクトを通じて、目白雑司が谷界隈の空き物件を再生しながら、リノベーションで住んで働く人を増やして仲間を増やしたいと思っています。

北九州家守舎の募集を日本仕事百貨に掲載しています。

2013/08/13|個別ページ

僕が代表を務めている株式会社北九州家守舎という会社で求人をしています。

ナカムラケンタさんの日本仕事百貨に掲載していただきました。ライターは旧知の神吉さん。

北九州家守舎は建築のリノベーションを通じて、北九州市小倉北区の魚町商店街の周辺に新たな雇用を生み出す活動を行なう、民間のまちづくり会社です。

将来の魚町を楽しく生き生きとしたまちにするために一緒に働いてくれる仲間を募集しています。われこそはと思う方は是非!

日本仕事百貨の広告ページ

都電家守舎というのをはじめます。

2013/07/10|個別ページ

僕は貧乏性なので、折角作ったのに使われていないものを見るとイライラして、そしてすぐに悲しくなる。

商店街を活性化しようとか思っているわけではなく、建築に携わる人間として、どんな建物であっても、どんな人がつくった建物であっても、折角作った建物が使われていないのを見ると、本当に悲しい。

だから、せっかく出来たのにちゃんとその意図どおりに使われていない「まち」を見るのが大嫌いだ。それは、小倉でも、東京でも、温泉地の熱海でも、東北の被災地でもかわらない。

ちゃんと「まち」しようぜ。

出身地とはいえ小倉魚町まで行って、いろいろなことに関わって、いろんな事を言って。
僕は小心者なので、小倉の人達に、いつかこういわれるのではないかとびくびくしている。

「お前、自分の住んでるまちでは、何やってるんだ?』って。

だから、お年寄りばかりで元気の無い御神輿のお祭りにはスタッフとともに準備に参加し。とっても目立てる御会式にはもちろん太鼓持って参加し。弱小の任意団体の商店会の役員になりハロウィンイベントを手伝い。保育園の父母会長も引き受けた。

梯さんにチャンスをもらって、清水さんから学びながら、ずいぶんと深く関わらせていただいた魚町の小倉家守の経験を活かして、僕は、そろそろ雑司ヶ谷で家守をやろうと思う。

魚町で分かったことを全部注ぎ込んで東京の山手線の内側にあるシャッター商店街と木造密集地のこのまちと、都電沿線に絡み付くようにクロスしている駅周辺の商店街とその周囲の住まい。それらの使われていない建物の使い方を考える事で、これからの新しい東京の。我々世代の暮らし方、働き方を提案したい。

そして逆に青木純さんと安井和宏さんと一緒にやって分かった事は全部魚町にもってって新たな実践を行ないたい。

なんでかって。

だって、都電がキラキラ輝いて、このまちを歩いて楽しいまちにできたら若者があつまって、あぶくりが大繁盛するじゃない。

ただ、それだけのことなんです。

雑司が谷の夜の学校

2013/05/26|個別ページ

奥さんのやっている「あぶくり」という飲食店で、雑司が谷のまちの未来をちょっとだけ考える勉強会を開催したいと思います。

勉強会と行っても、難しいことはあまりなくて、各方面でご活躍の何人かの方にお越しいただいて、1時間程のレクチャーをしていただいた後に集まった人達で食事をして飲んで楽しくお話しして、楽しく出会いましょうという機会です。

雑司が谷夜学校 2013(全五回)

あぶくりで全5回の夜の学校を開講します。
今年度のテーマは「自分の仕事を通じてまちを面白くする人達」

都電荒川線沿線の人たちを中心に五人の方にお越しいただいて楽しいお話を聞かせていただきます。難しい話一切無し。まちが大好きな人達の夜のぶっちゃけトークを聞きにきてください。おいしいお酒と料理を片手に、5回の夜を通じて、雑司が谷の未来がすこし見えてくるかもしれません。

初回 三千年続く都市の原型 〜イエメンの都市を通じて都電のまちを見る〜

イエメン料理を食べながら、イエメンの山岳都市を事例に都市の原型とは何かを明らかにしながら、コンパクトシティについて考える夜。

日時 2013年7月11日(木)
18:30〜21:30

講師
清水義次(アフタヌーンソサエティ 代表取締役)

プロフィール
1949年山梨県生まれ。
東京大学工学部都市工学科卒業後、コンサルタント会社を経て1992年(株)アフタヌーンソサエティ(行動型シンクタンク)設立。都市生活者の潜在意識の変化に根ざした建築のプロデュース、プロジェクトマネジメント、都市・地域再生プロデュース、家守事業プロデュースを行っている。最近は現代版家守業の実践と啓蒙に注力し、セントラル・イースト東京エリアや北九州市小倉中心市街地などで、遊休不動産を活用し都市型産業を育成して雇用創出を行い、エリア価値を向上させていく家守ビジネスモデルを構築している。

 

第二回 漫談 全国商店街の旅 〜おもしろくて元気なまちには共通点がある〜

全国の商店街を知りつくした木下さんから、高校時代のお話、今のお話。商店街の笑い話から泣ける話まで、まちづくりの現場の秘話をお話いただく夜。

日時 2013年7月11日(木)
18:30〜21:30

講師
木下斉(エリアイノベーションアライアンス 代表)

プロフィール
1982年 東京都生まれ
一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス 代表理事、内閣官房 地域活性化伝道師、熊本城東マネジメント株式会社代表取締役、宮城大学事業構想学部非常勤講師。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、経営学修士。専門は経営を軸に置いた中心市街地活性化、社会起業等。
2000年、高校時代に全国商店街の共同出資会社である(株)商店街ネットワークを設立社長に就任し、地域活性化に繋がる各種事業開発、関連省庁・企業と連携した各種研究事業を立ち上げる。その後、経済産業研究所リサーチ・アシスタントや東京財団の研究員を務める。2008年より熊本市を皮切りに地方都市中心部における地区経営プログラムの全国展開を開始。事業による地域活性化を目指す全国各地のまちづくり会社、商店街と共に2009年に一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス設立。2010年には内閣府政策調査員を務めるなど、政策立案にも取り組む。
主な著書は、「まちづくりの経営力養成講座」(学陽書房)、「コミュニティビジネス入門」(学芸出版)等。主な受賞歴に、新語流行語大賞「IT革命」、毎日新聞社・フジタ未来経営賞学生奨励賞等がある。

ナビゲーター

嶋田洋平(雑司が谷コンシエルジュ http://zo-shigaya.com/ )

以下、三回目以降

第三回 リノベーションで商店街に仕事をつくる (9月開催)
〜趣味を仕事に変えてシャッター街を元気なまちに〜
講師 嶋田洋平(らいおん建築事務所 代表)

第四回 練り物棚からこだわり商店へ (10月開催)
〜本物を届けることでまちの人たちのコミュニティをつくる〜
講師 安井浩和(こだわり商店 店主)

第五回 不動産オーナー業はまちづくりの仕事(11月開催)
〜住む人が自分でつくる賃貸住宅の住民がまちをオシャレに〜
講師 青木純(メゾン青樹 代表)


プログラム

18:30〜19:30 スライドレクチャー
19:30〜21:30 パーティー場所 あぶくり

〒171-0033 豊島区高田1-36-18 ハウスTKA目白2F 201

定員 30人

会費 4000円 ファーストドリンク(ワイン)と懇親会料理込み
2杯目以降はキャッシュオン

参加希望の方はあぶくりのFACEBOOKページイベントページから、個別の日程のページをご覧になって参加表明してください。
フェイスブックをご覧になれない方はお店に直接ご連絡の上、電話予約をお願いします。

<お電話は14時以降でお願いします。03−6912−6719>


 

噂のロイヤルアネックス・メゾン青樹に初めて行ってきました

2013/02/10|個別ページ

2013-02-10 12.05.20奥さんのサンドイッチ屋さん「あぶくり」のお客さんである青木さんのマンション、ロイヤルアネックス・メゾン青樹の新しい部屋と屋上のソラニワの内覧会(外覧会?)に行ってきた。といっても、今日の僕のお役目は、青木純さんがこのお披露目パーティーで提供するお食事の中にあぶくりのサンドイッチをということで沢山御注文いただいたので、出前としてお届けに上がったのだ。都電、向原まで。

もうすでにいろんなところで話題になっているので、いまさら感があったらごめんなさいね。

青木さんは、おじいさんの代に建設されたロイヤルアネックスというマンションを受け継がれた若い大家さんだ。空室の多かった2年前に、入居者が自ら壁紙を選べるマンションとして企画をして以来、入居希望者が殺到し、今、行列の出来るマンションとして新聞・テレビで引っ張りダコの超売れっ子大家さん(そんなカテゴリーがあるかどうか知らないが)だ。

「原状回復」という奇怪な風習が残る日本の賃貸住宅業界だが、僕の理解では、青木さんは原状回復の考え方を「退去後」から「入居前」にタイミング移動しただけ。 「退去後」と「入居前」。言葉としては違うけど、意味は同じ。

青木さんは、これまでに通常行なわれていた、賃貸マンションやアパートで住人が退去してしまった後の部屋に、新しい入居希望者が物件見学や入居申込に来る前に壁紙を張り替えるというタイミングを、新しい入居者が表れて入居を確定した後に張り替えるというタイミングに変更させただけ。

写真

そこにどんな新しさがあるのだろうか。

僕が考える青木さんの新しさは、壁紙を選ばせるという行為にではなく、「選んで決める」という一連の過程を入居者と大家である青木さんが一緒に楽しんでいるというところにつきる。だから、ただ単に壁紙を選べるマンションですってやったって、絶対に行列なんか出来るわけがないと思う。 何度もミーティングをして「自分に一番合う」だとか「自分が一番望んでいる」お気に入りのその「一枚」決めるプロセスの共有だ。こうすると、多分マンション住民の「住まう事に対する意識」は格段に高まると思う。これはなんとなく小倉魚町のメルカート三番街、フォルム三番街、ポポラート三番街をはじめとした中屋ビルのリノベーション事業の入居者との関わりから僕が実践的に得た感覚だ。参加型の不動産運営。賃貸住宅といえども自分の住まいに愛情と愛着をもって主体的に住みこなす新しい層の出現だ。(これまでも大切にしていた人はいただろうけど、それは大家や管理会社が押し付けるルールが厳しかったからだと思う。)おそらく大切に住みこなしてくれるだろう。

入居者が変わったら「クロスを張り替える」という日本の不動産業界に超固定化してしまった習慣に、「タイミングずらし」「プロセス共有」と、青木さんの持ち前の明るさと人柄と、「エンターテイメント性の付加」を忘れないというある種の彼の天才によって、この人は見事に日本一有名なマンションオーナーになったのだと思う。

さて、前置きが非常に長くなってしまったけれど、このロイヤルアネックスで青木さんは、もう壁紙を選んでもらうというだけには飽き足らず、オーダーメード賃貸なるものを始めてしまった。入居者が自分の好きなように間取りも材料も、デザイナーに相談しながら自由に創るというもの。夏水組の坂田夏水さんが手伝うその二つめの部屋の内覧会。 みなさん良いですか?もうマンション買わなくてもいいんですよ。賃貸マンションをすきなようにリノベーションできる。そのリスクは全部オーナーが負担してくれるんですよ。 でもね、僕は、このマンションの入居者には相当のハードルが課せられていると思う。

それは、誤解を恐れずに一言で言うと、「オシャレでなければならない」ということ。青木さんのこの主観的な評価軸に対して、住まい手となるべき人は、創りながら自身の内面をさらけ出していくことが、賃貸カスタマイズ住民には求められるのだ。

興味のある人は観に行ってみたら良い。執拗なまでに自分たちが暮らす空間に対して妥協を許さない住民たちの姿を。空間ではなく、そこに暮らす人達の生き生きとして自信に満ちた笑顔がなによりの証拠だ。

そして僕にとって面白いのは、彼らには手の抜きどころというのが存在しない点だ。出来上がったインテリアをみていたらわかると思うけれど、最初から最後までずーっとモチベーションが高い。我々設計者が手を抜いているような誤解を与えてしまうといけないので断っておくけれど、僕が言っているのは「デザインの出番」のことだ。作り手側の終止出しゃばったデザインは窮屈で押し付けがましい。だけど住まい手が、使い手が自らそれをやっているから、全然嫌みな感じがしない。これにはどんなインテリアデザイナーも、もうかなわないと思う。

自分たちの住まいを自分たちの好きなように創る。
社会が成熟して自由を手に入れていく過程で建築の専門教育を受けていない(ごめん多分青木さんはそうだと思う)人が、正面から住まい手と住まいに向き合って時代に会った人と建物の関係を見事に描き出している点に僕が青木さんに一番の爽やかさを感じるところだ。(顔は爽やかじゃないけど、それはお互い様か)

ロイヤルアネックス・メゾン青樹は、住まうということに対してどこまでも貪欲な人達の集まりだ。 感度が高く、これまでにないライフスタイルの集団が高密度に住む街が向原にある。青木さんはロイヤルアネックスをつくりながら、向原に暮らすというライフスタイルを提案しながら、まちづくりをやっているのだと思った。アフタヌーンソサエティの清水さんがおっしゃっていた、まさに「家持ちの家守」。 まちづくりにおいて一番影響力をもつという、不動産オーナー自ら家守になるケース。魚町の梯さんもそうだけど、大塚向原には青木さんがいる。

そんな青木さんに、リノベスクールに合わせて、北九州に来てもらう事になっています。
不動産オーナーのためのリノベーションスクール

三浦展さんのウェブサイトにインタビューを掲載していただきました

2013/02/06|個別ページ

みかんぐみに勤めていた時、ちょうど「POST-OFFICE ワークスペース改造計画」という新しい働き方や働くための場所の事を考える本を作っているときに、OPEN Aの馬場さんや京都工芸繊維大学の仲先生らとの間で話題になった「ファスト風土化する日本」という本を読んで、それ以降ずっとファンだった三浦展さんに、昨年魚町の中屋ビルでお会いする事ができました。「第四の消費」の時代に地方の中心市街地と呼ばれる場所はどうやって生き延びるのか、というテーマでお話しいただいたのでした。なんという幸運。

僕自身はファスト風土を東京の郊外の話に重ねて、地方の中心市街地がまさにファスト風土化していく様子を2008年くらいからずっと感じていたのでした。

昨年お会いした三浦さんが、その後なんと僕に声をかけてくれて、30代のインタビュー記事をご自身のウェブサイトに掲載する企画の二人目に、今をときめく夏水組の坂田夏水さんの次としてチャンスをあたえてくれたです。あまりにうれしくて饒舌に喋りまくってしまいまして、なんとも長く退屈なインタビューになってしまったのではないかと反省していますが、今僕の仕事をしていく上でのスタンスとか考え方のルーツみたいなのが詰まっているのかもなと思っています。

お時間があれば読んでみてください。三浦展さん本当にありがとうございました。そして三浦さんにお会いするきっかけをつくってくれた芳澤瞳さんにも感謝します。ありがとう。

最後に特筆すべき点を。このインタビューの第1回目の坂田夏水さん。彼女は北九州市八幡西区の出身です。夏水組とこひつじ商事をやられている坂田さんのご主人も八幡東区のご出身。生まれた場所や育った場所が後の人生に与える影響の大きさや霊的な作用を僕は比較的強く信じていまして、1970年代後半に、おそらく北九州や八幡にはなにか目に見えない未知なるパワーがあったんだと思います。モノリス的な。坂田さん、すごいもんこの人。

カルチャースタディーズ研究所のウェブサイト 

インタビュー記事

 

 
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