Event/イベント

ギャラリーエレベーター ペピン結構設計 演劇公演

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北九州市小倉魚町の商店街の建物の空きスペースで演劇公演を企画しました。劇団「ペピン結構設計」に演劇の制作と上演を依頼し、らいおん建築事務所はレジデンスプログラムのディレクションを行いました。

32年間「和光」という婦人服販売店として使われていた建物をメイン舞台に、屋上、エレベーターの中、ゲームセンター跡や魚町銀天街や魚町サンロードといったアーケード通り、三木屋というレンタルスペースなど、まちのあらゆる資源を劇場の舞台のように見立ててもらい、まちと建物と人の繋がりに新しい価値を見いだせるような演劇にしてもらえるように、ペピン結構設計のみなさんにお願いしました。

「対岸の火事」と題した公演を上演しました。

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ペピン結構設計 演出ノートより

「対岸の火事」

小倉に滞在した4日間、魚町商店街の人たちに色んな話を聞いた。
特に印象的だったのは、火事の話だった。火事で燃えてしまった、今はもう無いお店の話。
火事の話が出るまで、そんなお店があったことさえ忘れていた人もいて
「ああ!そういえば」なんて、思い出話に花が咲いたりもした。

 

火事の話をするときは、みんな決まって笑っていた。
魚町のビルのいくつかは、火除けのためにお稲荷さんを祀っている。
あそこはお稲荷さんを祀っていなかったから火事になったんだとか
あっちのお稲荷さんとこっちのお稲荷さんがケンカしたから火事になったんだとか。
きっと当時は、大変な思いや怖い思いもしたのかもしれないけど
みんな、なぜか大笑いしていた。あんまり楽しい笑い方なので、私たちもつられて笑った。
火事というものを知らない人が聞いていたら、お祭りか何かだと思ったかもしれない。

 

商店街の未来を憂う人、つらい過去を抱えながら笑顔で店に立つ人、
ヤクザに撃たれれば本望だと命を張って商店街を守る人。
すげえな、と思った。
私たちの住んでいるまちでは民家からロケットランチャーは出てこない。

 

小倉にいる間、北九州市のガレキ受け入れにも話は及んだ。
怒っている人、悲しんでいる人、「自分とあなたたちとは考えが違う」と線を引く人。
私たちは曖昧な笑顔で応えることしかできず、モヤモヤとした気持ちのまま帰京した。

 

マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と言った(らしい)。
火事見物に駆けつける野次馬は、布団の中でサイレンを聞いて「大変ね」
って言いながらセックスしてる人たちよりは愛があるのだろうか。
北九州の商店街で演劇公演をやる私たちも、野次馬みたいなものかもしれない。
それが無関心の反対だとして、まだ「愛」とは呼べない。

 

だけど対岸の火事の話をするときは、笑っていようと思うんだ。
いつまで対岸にいられるか、わからないけどね、って。


対岸の火事 当日パンフレットより

小倉の父 

石神夏希

商店街のお店の多くは以前、店と住居が一体となっていて、商店主たちが住んでいたそうです。でも今ではみんな郊外に住まいを移して、商店街に住んでいる人はだいぶ減ったと聞きました。2回目に北九州に来たとき、皿倉山に連れて行ってもらいました。山の頂上から眺めた北九州市の姿は、沿岸部の工場地帯と市全域に広がる住宅地でした。

私たちは全員、父がサラリーマンで、東京郊外の家で育ちました。たぶん、あのたくさんの家を建てたのは私たちの父と同年代の人たちだと思います。個人的な話ですが私の父は銀行員で、私が中学生になった頃から何度も銀行名が変わり、最後には私は父の勤め先を聞かれても答えられなくなっていました。「失われた10年」は「失われた20年」に言い直され、私の人生の実に2/3が失われてしまいました。

私たちが魚町商店街に初めて来たのは2012年6月でした。それから数日~1週間程ずつ4回ほど訪れ、計約1ヶ月をこの魚町商店街で過ごしました。

魚町に来てまず感じたのは、亡霊(ゴースト)の気配です。魚町商店街では、年末のえびす市の一等賞の景品が「家一軒」だったこともあると聞きます。まさに金が「うなるほどある」、そんな時代の残響と、ここに集まった多くの人たちの欲望、感情、夢や希望。そうしたエネルギーがまだ、まちのそこかしこに漂っていました。

そして中屋ビルで一番心に残ったのが、ゲームセンターの存在でした。メルカート三番街、フォルム三番街、そしてポポラート三番街というクリエイターたちの拠点として、消費の場から創造の場へと生まれ変わりつつある中屋ビル。ゲームセンターはその表玄関ともいえる銀天街1階にあります。

先代オーナーが亡くなる前、2010年に和光が撤退した際に「銀天街に面した1階のシャッターを閉めては大変なことになるから」と、苦肉の策で地下にあったゲームセンターをスライドさせたそうです。その後、先代は亡くなり、後を継いだ4代目の現オーナーがメルカート三番街をはじめとするリノベーションを決断したと聞きました。そんな時代の過渡期にあって、一見「前時代の遺産」とも見えるあのゲームセンターは、中屋ビルと魚町商店街をピンチから救った存在であり、新しい中屋ビルと魚町商店街を生まれ変わらせ、軌道に乗せていくための「もとで」を作りもした。

そんなゲームセンターを私はとてもカッコイイと思うし、魚町や中屋ビルを愛し、今も守ろうとしている「父」たち(生きている父も、もう亡くなった父も)にどこか似ていると思うのです。魚町商店街に日本で最初のアーケードをかけたのも、そうした父たちだったのではないでしょうか。

まちの歴史について私たちが喋ったことは、まちがっている部分もあるかもしれません。わけのわからないお話だったかもしれませんが、正確な、そして奥深い魚町商店街の歴史は、お配りした『魚町銀天街物語』をぜひご覧ください。

最後に、魚町に来るたび私たちを温かく迎えてくれた「小倉の父」たちに(そして、それを支える母たちにも)せいいっぱいの愛と感謝を送ります。

 


ギャラリーエレベーター演劇公演

「対岸の火事」

作・演出|石神夏希

出演

下田寛典 中澤大輔 吉田能

三國屋勘治

 

照明|岩田守 礒部友紀子

音楽|吉田能

音響|中河原文 山下健一 坂口公彦 松井輝夫

美術|塩井一孝

宣伝美術|貝嶋一哉

制作|里見有祐

制作協力|藤本瑞樹(kitaya505) チづる

協力

アンフィニ・コメタニ

枝光本町商店街アイアンシアター

奥田精肉店

cafe CACTUS

北九州芸術劇場

小倉かまぼこ株式会社

㈲SAM

㈱髙木不動産

旦過うどん

中華そば藤王

㈱つじり

㈲はまだ洋装店

㈱フロム・ワン

邦楽の店 渡辺

㈱松永不動産

㈲三國屋

MEDIO-FM

もりしたフルーツ

LICCA

ワシントンビル

メルカート三番街の皆さま

ポポラート三番街の皆さま

稲毛まゆ美

小林悠

喜久田吉蔵

田島裕平

竹本圭佑

 


(1)2階(エレベーター前)

2010年までは婦人服専門店「和光」が入っていた。現在はポポラート三番街。

(2)ドラッグイレブン

小倉で最初の百貨店「かねやす」があった場所。発祥は呉服屋で、斜め向かいにある呉服屋「新米谷」はその分家に当たる。昭和27年に「魚町大火」で木造四階建の旧館が焼け、29年に閉店。新館は「ワシントンビル」として今も残っている。屋上にはお稲荷さんと、戦時中に使われていた防空監視哨が残る。ちなみに火事を最初に発見したのは、若き日の中屋ビル先代オーナーらしい。

(3)三木屋

以前は三木屋金物店の商店主の住まいだった、築約60年の木造の民家。店は約20年前にテナントビルに建て替えられ、職住一体だった時代の住宅部分のみが残されていた。2012年にリノベーションされ、レンタルスペース「うおまちのにわ 三木屋」として生まれ変わった。

(4)丸源ビル

福岡の中州、東京の赤坂・六本木・銀座などにもある、大規模テナントビル。発祥は小倉の呉服商。中屋ビルに隣接する丸源ビルは70~80年代に様々なブランドが軒を連ねるファッションビルとして人気を集め「バケツにお札を詰める」ほど繁盛していた。昭和の終わり頃までにすべてのテナントが撤退。現在まで約25年間、当時のまま放置されている。

(5)エレベーター

昭和42年から中屋ビルを訪れるお客さんを運び続けているエレベーター。

(6)3階(和光あと)

2010年まで中屋ビルに入居していた和光の下着売り場であり、撤退した当時のまま什器やマネキンが残されている。

(7)屋上

アーケードをはさんだ対岸に、百貨店かねやす(現ワシントンビル)の屋上のお稲荷さんが眺められる。他にも新米谷、松永、早水といった歴史あるビルの屋上には火除けのお稲荷さんが祀られており、毎年11月8日には火災除けと商売繁盛を祈願する「鞴(ふいご)祭り」が行われる。

(8)地下(ゲームセンターあと)

2011年に中屋ビルから和光が撤退するまで、ゲームセンター(現在は1階にある「アンアン2」)があった。現在はアートイベントなどに利用されている。

(9)サンロード魚町

以前は鳥町と呼ばれていたが、昭和40年代にアーケードエリアの町名が統一され魚町に組み込まれた。銀天街に続きルネッサンス通りまでアーケードでつなぐ計画が進行していたがさまざまな理由により頓挫し、小倉駅から約500m離れた位置に107mのアーケードが孤立して残されている。


 

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実施年:2012年
所在地:福岡県北九州市 / site: Kitakyushu Fukuoka
内容 :演劇公演
入場者:200人
撮影 :らいおん建築事務所 / photo:Lion Architects